個別創作支援について、続。


ご縁のあるご家庭にお願いして自分がやってみたかった支援、すでに取り組まさせて頂いております。

新しい事を始めようとする度に“何て厚かましい奴だ、何かあったらどう責任を取る気なのだ、それでどうやって生活していく気でいるのだ?”等、挑戦を引き留めようとする様々な自分の声を聴きます。やりたいと思ったことの他に考えが回らない弱さは、もう悩んでもどうしようもないものであると受け入れています。ただ考えているだけでよりよい結果にたどり着ける方が居るのであればそれは素晴らしことだと思います、しかし自分の力は行動にあると信じます。自身の挑戦と行動を受けて下さったご家族、ご本人へ心からの感謝を込めて支援の計画と実行、振り返りから、何からの創作の手段と生きがいの獲得のお手伝いをさせて頂ければと切に願います。

活動の一旦をご紹介させて頂き〼。

まずは考え方から。長かったり暑苦しかったりします。

何らかの福祉サービスで支援に入る際には、その人それぞれの既往や禁忌事項、特性と興味関心、性別に年齢、支援させて頂く生活環境とどのようなサービスを利用しているかについてなどあらゆる情報を整理して、どのような課題と目標を設定して暮らしているのかを知る必要があります。本人と周囲に求められていることを重ねられた目標と、その達成に向けた短期目標としての小さな階段をいくつも設定するものです。それらは主に、社会的に望ましい習慣の獲得やADL/日常生活動作やIADL/手段的ADLの維持向上を目指すものでそれらがQOL/生活の質を高めるとしています。理論で具体的に細やかに考えられた方法論でもこぼれてしまうものが「感性や生きがい」ではないでしょうか。

問題が解決するか、これ以上の回復は見込めないという状況下に於いてもサービスを利用するしないに関わらずどんな方でも“ただ生きていればいいのか”という課題に直面します。身体が大切に守られるだけではなく、自分自身が個人としての尊厳を守る事のできる打ち込んでもよい活動が必要なのです。ニーズに応える側としての支援者が創作や芸術的な活動についてどのように認識しているか、関わる支援者の感性によってサービスを受ける側にとって有益なものになるかどうかが、かかっています。

第三者にとって無駄で不必要な何かが、作者にとっては重要かつ不可欠であることがあります。第三者にとって理解に苦しむ創作作品に込められた情報が、金庫の様な働きをして誰にも干渉されることのない世界へ大切に保管された作者自身の真実である場合があります。第三者にとって忘れるべき事柄であり忘却することが可能な記憶が、作者にとっては痛みでも喜びでも普遍の記憶として残されている場合があります。他にも沢山の例があるかと思います。

人生は不可解なものであるからこそあらゆる経験が、妙なる創作活動に昇華され生み出される可能性が誰にでもあると伝えたいのです、誰にも習わずとも自ずから湧き上がってくるタイミングが大切にされる必要があると考えます、アーティストであるなしに関係はありません、生きようとするためにスタートしたものは守ってあげなくてはいけません。そして、何らかのきっかけで「やってみたい」「すでにやっている」行為や行動は常に変化していくものです。一つ事にだけ打ち込み続ける様になるまでには様々な出会いや試行錯誤と経験があったはずで単に定着したという結果に過ぎないはずです。

人として生まれたからにはあらゆる不条理と非倫理、利己的で不可解な体験を自他共に通過しなくてはなりません。同じです、発達が定型か非定型か、障がいの有無、年齢や性別、あらゆる条件が「創作」に於いて、互いがまったく違う個性をもって生まれた個別の存在であるという証明であるという事に何の違いもありません。あらゆる過程を通過して生み出される表現に込められたはっきりとした意思や言語、問題の提示、問題を問題としない飛躍、これらにこそ、真善美が宿っていると私は感じ入ります。

既に、あらゆる組織や団体によって環境そのものを支える制度や仕組みがあります、個人ではとても作りだせないお仕事です。個人でいる為に私は今でも作家として創作を続け創作を必要としています、大事に守ってきた「感性や生きがい」の大切さがわかるからこそ、この点に於いてどんな方にでも寄り添うことが可能であると思い、個別創作支援というものに挑戦したいという経緯を辿りました。

・マドカさん ご自宅と周囲にて活動。
※紹介させて頂くことについてご承諾頂いております。<m(__)m>

出会いは、マドカさんとお母さんとも出会ってはいないときの事です。マドカさんがまだ恐らく小学生低学年ころにお母さん、ご友人と一緒に野外での芝居を観劇している所を見かけたことがありました。公演中、マドカさんは舞台に向かって何かの気持ちをぶつけるように涙を流して何かを訴えていました、それがお芝居に溶け込んだ風景として私の記憶の中によく残っています。その後、偶然に出会うことになりました。きっかけは劇場でしょうか。お母さんと一緒に私の舞台作品や活動先へ足を運んでくれる様になりましたことは夢にも思わない事でした。お母さんが発信されている情報からスミス・マギニス症候群について知り学習しました。そして、私がずっとやってみたかった支援について耳を傾け、初めてこの活動を受けて下さったのがマドカさんとなります。出会いとは不思議です。ご縁に感謝せずにはおれません。

1回目は、まずは興味の幅や関心を知る為、沢山の道具を用意しました。マドカさんが足を運んでくれたことのある舞台で使用していた複数の小道具、衣装。その他、芝居の為に創作した複数の人形。使用している楽器を各種。絵を描く道具などを準備しました。楽しみにして待ってくれていたマドカさんと一緒に活動を開始しました。持ってきたもの全てに一通り触れたり見たり動かしてみたりした後、特別、トランペットに関心があることがわかりました。やった事がある方なら誰でも知っていることですが、まず音を出す事が難しいのです。ですが他の道具に比べて関心が強かった為、端的に音を出す方法を伝えると、その後自分で繰り返し音を出すことに挑戦して、音が出るようになりました。(すごい!)

その他、人形に特別な関心があることを知りました。マドカさんからも人形を使用した遊びの要求がありました。その為、私自身が一人で2体の人形とわたしを演じながら空間を山や湖、空の上、異世界などを設定して演劇でいう所のエチュードで一緒に遊びました。あっという間に時間が過ぎ、昼食をご一緒させてもらい一回目は終了。ご家族の皆さんにトランペットの音が出る様になったことについてよく褒めてもらいご満悦でした。小さな幸せの輪に参加できたことに支援者として大きな喜びを感じていました。

☆2回目は、緊張の面持ちですぐに活動に取り掛かれませんでした。

前回、沢山褒めてもらったことに対するプレッシャーでしょうか。恥ずかしかったのでしょうか。普段の時間の過ごし方と違うことに対する気持ちの切り替えに時間がかかるのでしょうか。色々な理由が考えられましたが、離れた場所から見てくれているのを感じられましたので今回用意した道具を離れた場所からでも見える場所に複数種類の人形を広げました。その後、段ボール製の犬型人形の仕上げ作業を開始しました。目、鼻、口、眉毛、耳、輪郭をくっきりとさせた後、雨が降ってきた為、別場所へ移動しようと歩行を操作しながら別棟に向かうとマドカさんの声が建物の中から聞こえて、犬型人形の側へやってきてくれました。すっかり笑顔になり、緊張もとけて操作につよい興味があるようでした(よかった、、、涙)。

以降は前回同様、一通り用意したものを確かめつつ、犬型段ボール人形を中心にエチュードで遊びました。他、リズムを付けて音で遊ぶ活動も取り組んでみると、非常に喜んでくれていました。一緒にゆっくりと昼食を済ませた後、片付けて活動は終了。人形の好みの幅、リズムを交えた音での活動を用意して反応を確かめることができました。まだまだ、マドカさんのできる事、楽しめる事、引き出しが眠っている様に感じられます。私を通して、親しんだ遊びの中に新しいものを取り入れていく事で何かが開花するのではないかと考えます、楽しみながら今後も一緒に挑戦出来たらと思います。折々、ありがとうございました。

個別創作支援にご興味もたれましたら方、いらっしゃいましたらHPに連絡先あります。
お気軽にご連絡下さい。長文、読んで頂き有難うございました。